- 防災
- 2019.04.16
熊本地震から3年 被災地 視察 被災者の声 復興 防災
ピースアップのサエキです。
早いもので熊本地震から3年が経ちました。
2016年4月14日、21時26分。スマホから地震速報のアラームが鳴り、熊本で大地震が起こったことを知りましたが、まさか熊本で?と思いました。
長年、大地震は九州では発生しておらず、「日本全国どこでも地震災害は起こる」という感覚が乏しかった事を思い出します。
地震発生時、私は中国の広州展示会への参加と、膨張式ライフジャケットのメーカー(エイソン社)を訪ねて、中国にいました。
急いで帰国しようとしましたが、飛行機が取れず、通信環境の悪いホテルで3日間、ひたすらパソコンと電話で日本にいる仕入先様やスタッフとやりとりしていたのを思い出します。
4月14日に震度7の地震が襲いましたが、さらに4月16日にも震度7。さらに震度6クラスが頻発するという稀に見る余震(本震?)があり、震源地も動く、予測不可能な事態でした。
4月18日にやっと帰国できましたが、その後、数ヶ月は業務に追われ、一段落した夏の終わり頃に熊本視察を行いました。
■震災5ヶ月後の熊本視察
熊本市中心部はある程度の復興が成され、平穏な風景が広がっていました。
熊本城を訪れましたが、テレビ報道でよく見たとおり、石垣の崩れ落ちているのを確認出来ました。
また、未だに立ち入り禁止場所もあり、あちこちに震災の跡が残っており、歴史遺産復旧の難しさを感じました。
その後、被害の大きかった益城町付近を訪れましたが中心部とは一転して、瓦礫の運搬待ち状態や、今にも崩れてきそうな家屋、電信柱等、手付かずの状態でした。
郊外は自然豊かでのどかな風景ですが、土砂崩れも頻発した痕があり、これだけの山を切り崩してしまう震度7の揺れは驚異です。
■現地の方にお話を伺いましたが、被災時体験を語ってくれました。
その中でも印象に残ったお話が、
・道路が波打って迫ってきた。
この方は被災時に外出してましたが大きな揺れと共に、道路がまるで波のように見えたそうです。
身動き出来ず、パニック状態になりつつも、目を疑う光景だったとの事。
・子どもが被災時にお風呂に入っていた為、その後はお風呂を怖がるようになった。
被災体験において、トラウマが生まれると聞きますが、特に小さなお子様には強烈に印象が残ってしまうのでしょう。
・熊本で大地震が起こるとは思ってなかったので、備えを全くしていなかった。
被災後は水・トイレ・食料に困られたとの事。また、震災時、家具が飛んできたので、万一に備えて耐震対策は必須と語っておられました。
大きなタンスが飛んでくるのを想像すると恐ろしいです。
お恥ずかしながら、私自身も当時、九州地方での大地震は想定していなかったのですが、よく考えると日本列島は活火山が多く、プレートや断層が無数にあり、
内陸地震(プレート内 地震)は日本全国、どこでも発生する可能性があります。※見つかっていない断層も多数あるとの事。
海溝型地震(東日本大震災や南海トラフ巨大地震)も大きな驚異ですが、専門家も非常に予測しがたい内陸型も恐ろしいものです。
熊本視察においての感想ですが、震災のお話を伺っているときも、大変な思いをされたにもかかわらず、
熊本の人たちは本当に明るく親切で親しみやすい方が多かったです。
また、地域の方々の結びつきがあり、強い助け合いのコミュニティを感じました。
最後になりましたが、平成28年(2016年)熊本地震において犠牲になられた方のご冥福をお祈りすると共に、ご遺族の方、被害に合われた方々、現在でも不便な生活をおくられる方々の一刻も早い復旧・復興・心の平安がるよう、お祈り申し上げます。