- 防災
- 2019.06.17
大阪府北部地震から1年
2011年3月11日、東日本大震災。
当時、演劇に携わっていた私は戯曲を書きました。
波の音が聞こえる小学校の授業風景。登場人物は4人。
大人になりきれず子供に戻りたい先生。
どっちつかずなメガネちゃん、
それでも最後は大人になりきれない先生から先生を受け継ぐ決意をします。
理想を追い求める夢見がちな満島。
ロック歌手に憧れている悩み多きウェルテル。
小学生の頃に観た時代劇、町娘お松とおかっぴきの純粋なワンシーンから
物語のアイディアを膨らませていきました。
泣き崩れているお松。
お松の涙をおかっぴきが指でさっと拭き取ってぺろっとなめた。
そうして、こう言いました。
「しょっぱい。お松ちゃんの涙はしょっぱいな」
ドラマチックなワンシーンに小学生の私はドキドキしました。
そのドラマチックなワンシーンと繋がって今でも忘れられないシーンがあります。
「みんなで一緒にこの学校を卒業することはできません」
小学生の子供たちが涙しているニュースのワンシーンです。
地震、津波で命を失った子供たちには、その時、大切に思っている人がいたかもしれない。
青春時代の真っ只中。その思いを伝えずに命を失ったのかもしれない。
東日本大震災では年齢関係なく多くの人が犠牲になりました。
それなのに私は小学生の子供たちのことばかり考えていました。
大阪北部地震では崩れてきたブロック塀の下敷きになり9歳の女の子が命を失いました。
ブロックくらいすぐに取り除けるだろうと考えてしまいますが、
警備員の方や住民の方が力を合わせて持ち上げようとしてもびくともせず、
通りかかったトラックドライバーの方が、車に積んであったジャッキで持ち上げようとしても無理だったとのことです。
車用のジャッキは、車種ごとに形状が異なります。
また防災用に作られていないので車以外に使用するととても危険です。
プロのトラックドライバーの方なら、その危険性を分かっていたはずです。
それでも女の子を助けようとしたのに、助けることが出来なかった。
そのことを考えると言葉が出てきません。
大阪北部地震が起こった時も演劇をしていたなら、何か形に残さないと行けないと思ったかもしれません。
しかし、今の私は様々なことを見過ごしているような気がしています。
そのことがたまにとても恐く感じる時があります。
2019年6月18日で大阪北部地震から1年です。
テレビでは大阪北部地震についての情報はあまり流れていませんが
初心に戻り災害について考えてみたいと思います。
またブログを書きます。